身に差し迫った痛切な訴えのことをいいます。
【膚受:フジュ】は、肌身にしみるような痛切なことをあらわします。
【愬:ソ】は、冤罪の訴えを言います。
『論語』顔淵篇にでている四字熟語です。
子張問明。
子張、明を問ふ。
子張が、明察とはどういうことですかと問いました。
子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣。
子日く、浸潤の譖り、膚受の愬え、行はれざるは、明と謂うべきのみ。
孔子がいいました。水が浸み込んでいくように,人の心に浸み入るような譖言(ザンゲン)や、
膚に切りつけられるようなきびしい訴えにも惑わされず、取り上げなければ明察と言えよう。
浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣。
浸潤の譖り、膚受の愬え、行はれざるは、遠しと謂うべきのみ。
又、水が浸み込んでいくようにそれとなく人の心に浸み入るような中傷の言葉を吐いたり、
素肌に感じるような不満を訴えたりしなければ、遠い思慮があると言えよう。
高々65年の経験しかない彼の国は、自国の先人に学ばないといけません。