酒色にふけり、身を持ち崩すことを表す四字熟語です。
【放蕩】は、【放】にほしいままの意味があり、【蕩】にもほしいままの意味があり、熟語になった場合、
「ホウトウ」となり「ウ」を共通の韻に持つ畳韻の擬態語と言われています。
意味も① ほしいまま、② 放浪する、③ 酒色などにふけって品行の修まらないこと、
などが発生します。
【無頼】は、① 頼りにならない、② やくざ、③ 憎みののしる言葉、④ 愛するあまり、わざとののしる、
⑤ 苦しい、などの意味があります。
結局【放蕩無頼:ホウトウブライ】の意味は、品行がきわめて悪い様子を強調する言葉になりました。
中国古典には四字熟語としての【放蕩無頼】は見つけられませんでしたが、
福澤諭吉『学問のすすめ』の第10篇にでていました。
明治の文章ですからスンナリとは読めません。直訳ですが口語訳をつけました。
原文です。
これを譬(たと)えば、ここに沈湎冒色(チンメンボウショク)、【放蕩無頼】の子弟あらん。これを
御するの法いかがすべきや。これを導きて人となさんとするには、まずその飲酒を禁じ
遊冶(ユウヤ)を制し、しかる後に相当の業につかしむることなるべし。その飲酒、遊冶を
禁ぜざるの間は、いまだともに家業の事を語るべからず。
されども人にして酒色に耽(ふけ)らざればとて、これをその人の徳義と言うべからず。
ただ世の害をなさざるのみにて、いまだ無用の長物たるの名は免れ難し。その飲酒、
遊冶を禁じたるうえ、またしたがって業につき、身を養い、家に益することありて、
はじめて十人並みの少年と言うべきなり。自食の論もまたかくのごとし。
口語訳です。
これを例えるならば、ここに手の付けれられないほど遊び好きの子弟が居たとする。これを
なんとかするための方法とはどういうものがあるだろうか。これを導いて人とするためには、
まず飲酒を禁じて女遊びをさせないようにし、そうしてから後に、それ相当の仕事に就かせるしかない。
飲酒と女遊びをやめない間は、まだ一緒に家の事を語ることはできない。
そうではあっても、酒色にふけっていないからと言って、これはその人の徳義とはいえない。
ただ、世の中に害をなさないだけであって、いまだに無用の長物という名を免れることは難しい。
飲酒と女遊びをしない上で、またさらに仕事に就いて自分の身を養って家に益することがあって、
始めて十人並みの少年になれたと言うべきである。自食するということはこのようなものである