出世したり落ちぶれたりして、はじめて人情の真実がわかる、ということを表した四字熟語です。
【一貴一賤】の【一】は、【あるときは貴、またあるときは賤】の意味です。
『史記』汲黯(キュウアン)・鄭当時(テイトウジ)列伝の太子公曰くの所に記載されています。
司馬遷のコメントです。
汲黯・鄭当時の賢明をもってしても、勢力があれば賓客は十倍になり、勢力がなければそうはいかない。
まして衆人においてはなおさらのことである。
下邽(カケイ:陝西省)の翟公(テキコウ)はこう言っている
はじめ翟公が廷尉であったとき、おしかけてきた賓客が門に満ちた。免職されると、門外に
雀羅(スズメをとる網)をはりうるほどに人の出入りがなくなった。ふたたび廷尉になると、
また賓客がおしかけようとした。そこで翟公はその門に大書した。
一死一生乃知交情、
一死一生、すなはち交情を知り
一貧一富乃知交態
一貧一富、すなはち交際の実態を知り
一貴一賤交情乃見
一貴一賤して、交際の真情を知る。
汲黯・鄭当時についてもこのことは言える。悲しいではないか。
人のつき合いが生死、貧富、貴賤の変化につれて、天地ほどに変わることを皮肉った言葉です。