【知を致(いた)すは物に格(いた)るにあり】と訓読みされます。
物事の本質をつきつめて理解し、知識を深めることを表します。
儒学の経典であります四書の一つ『大学』にでている言葉です。
『大学』は、儒教の教義を簡潔に体系的に述べた名著として知られています。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。
古き良き時代に、輝かしい聖人の徳を世界中に発揮しようとした人は、
それに先立って国をよく修めた。
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う。
その国をよく治めようとする人は、それに先立ってまず家を和合させた。
その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。
その家を和合させようとする人は、それに先立ってまずわが身をよく修めた。
その身を修めんと欲する者は、まずその心を正す。
わが身をよく修めようとする人は、それに先立ってまず自分の心を正した。
その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。
自分の心を正そうとした人は、それに先立ってまず自分の意念(おもい)を誠実にした。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致(きわ)む。
自分の意念を誠実にしようとした人は、それに先立ってまず自分の知能をきわめた。
知を致(きわ)むるは物に格(いた)るにあり。
自分の知能をきわめるには、物事について(善悪を)を確かめることだ。
【格物致知】の解釈は古来、議論百出の状態だそうです。
朱子學では、【知を致(いた)すは物に格(いた)るに在り】と読みまして
自己の知識を最大に広めるには、それぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが
先決であると解釈する。
陽明学では、【知を致(いた)すは物を格(ただ)すに在り】と読みまして
生まれつき備わっている良知を明らかにして、天理を悟ることが、すなわち自己の意思が
発現した日常の万事の善悪を正すことである。
難しい、ムズカシイ。