【歳寒三友】の松竹梅とは違いますが、道眞のその時の三友について述懐されています。
冬に友とすべき三つの植物で、松と竹と梅のことを言います。
【歳寒三友】は、宋代より始まった、文人画で好まれる画題のひとつでした。
具体的には松・竹・梅の三つをさします。
日本では「松竹梅(ショウチクバイ)」と呼ばれます。
松と竹は寒中にも色褪(あ)せず、また梅は寒中に花開くことから、これらは「清廉潔白」「節操」という、文人の理想を表現したものと認識されました。
日本に伝わったのは平安時代であり、江戸時代以降に民間でも流行しますが、「松竹梅」といえば「目出度い」ことの象徴と考えられており、中国での認識とは大きく異なっています。
昌泰(ショウタイ)4年((901年)、道眞が大宰府に居たころ、
『読楽天北窓三友詩(楽天の北窓三友の詩を読む)』という七言×56句の古体詩を作りました。
53句~56句のところです。
53)古之三友一生楽
古(いにしへ)の三友は一生の楽しみなれど
昔の(白居易にとっての琴・酒・詩という)三つの友は一生の楽しみだったが
54)今之三友一生悲
今の三友は一生の悲しみなり
今の(私にとっての燕・雀・詩という)三つの友は一生の悲しみだ
55)古不同今今異古
古は今に同じからず 今は古に異なる
昔は今と同じではなく 今は昔と異なる
56)一悲一楽志所之
一は悲しみ一は楽しむ 志(こころざし)の之(ゆ)くところなり
悲しんだり楽しんだりするのは (詩が)志のおもむくものであるからだ。
この詩を作った2年後、延喜3年(903年)2月25日 道眞は亡くなります。
今日は、『道眞忌』です。
道眞は延喜3年(903年)、大宰府で薨去し同地に葬られました(現在の太宰府天満宮)。道眞が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。
その梅が、京の都から一晩にして道眞の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名です。