人生の禍福は定まりないものであることのたとえです。
【人間万事塞翁が馬】、略して【塞翁が馬】といわれています。
塞翁:中国北方の辺境、塞(とりで)に住んでいた翁。固有名詞ではありません。
出典は『淮南子:エナンジ』という書です。前漢の武帝初期に成立しました。編集したのは漢の高祖劉邦の孫に当たる淮南王(ワイナンオウ)劉安(リュウアン)(B.C.178~B.C.122)です。淮南王が編集したので『淮南子』という書名になりました。「淮」の字を「ワイ」と読むのは慣用読み、「エ」と読むのは呉音読みです。
塞翁の飼っていた馬が逃げてしまいました
「このことがどうして福(さいわい)とならぬことがあろうか」といいました。
数ヵ月後逃げた馬が駿馬を連れて帰ってきました。
「このことがどうして禍(わざわい)とならぬことがあろうか」といいました。
あるとき息子が落馬して骨折してしまいました。
「このことがどうして福(さいわい)とならぬことがあろうか」といいました。
戦が起こり、骨折した息子は兵隊に行かずにすみました。
つまり福が禍となり、禍が福となる。こうした変転のありさまを見極わめることは難しく、その奥深さを予測することはできない。と『淮南子』は締めくくっています。
『誹風柳多留』に【あまのじゃくだと塞翁が女房言ひ】とありました。