【過(あやま)ちを観(み)て仁を知る】と訓読みされまして、
その過ちを観れば、その人の、人となりが分かってしまうと言う意味です。
『論語』里仁(リジン)にでている言葉です。
子曰、
子日(いは)く、
孔子が言いました、
人之過也、各於其黨。
人の過ちや、各々其の党(たぐい)に於てす。
人は皆その類(たぐい)を同じくする所で過ちを犯すものだ。
觀過斯知仁矣。
過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。
だから、その過ちを観察すれば、その人の人柄は分かってしまう、と。
舌禍(ゼッカ)は、
1)他人の中傷や悪口などによって受けるわざわい。
2)演説・講演などの内容が、法律にふれたり、他人を怒らせたりしたために受けるわざわい。
をいいます。
舌禍を与えるような人柄を、要職につけてはいけません。