どんなにすぐれた人にも劣ったところはあり、劣った人にも優れたところがあるという喩えです。
【尺(セキ)も短き所有り、寸(スン)も長き所有り】と訓読みされます。
【尺】は呉音:シャク。漢音:セキ です。
『楚辞』卜居(ボクキョ)にでています。
『楚辞』は、戦国時代末、楚の屈原(クツゲン)とその門人や後人の、屈原にまねた作品を集めたものです。
北方文学の代表が『詩経』であるのに対して、『楚辞』は南方文学の代表とされています。
卜居は、土地の善し悪しを占って住居を定めることをいいますが、ここでは、屈原が世に認められない不満を懐き、これからどう生きていったらよいかを占ってもらおうとしている場面です。
他の諸編に比較して客観的であることから、後世の人が書いたのでは、という説があります。
詹尹乃釋策而謝曰
詹尹(センイン:占い師の名前)乃(すなは)ち策を釋(す)てて謝して曰く
詹尹はおもむろに筮竹を捨てて一礼していいました
夫尺有所短
夫(そ)れ尺も短き所有り
一尺でも短いとする場合があり、
寸有所長
寸も長き所有り
一寸でも長い場合もある。
(以下、原文を省略します)
物にも足らざる所有り
物にも足りないところがあり、
智にも明らかならざる所有り
知恵にも明らかでないところがある、
數も逮(およ)ばざる所有り
数理で極められないものがあり、
神も通ぜざる所有り
神秘な力も通じ達しないところがあるものである。
君の心を用ひて
(私の卜筮の力ではとても占いきれないのです)
あなたは、あなた自身の心を用いて、
君の意を行へ
あなた自身の考えを行いなさい。
龜策(キサク)は誠に事を知る能(あた)はずと
亀甲や筮竹では、誠に、お尋ねの事の吉凶を知ることは出来ません、と。
【尺短寸長】は、【一長一短:イッチョウイッタン】と同義の四字熟語です。