一国の政治を託することのできる人物を言った言葉です。
『論語』泰伯篇の言葉です。
曾子曰、
曽子日く、
曽子云う、
可以託六尺之孤、
以て六尺(リクセキ)の孤を託すべく、
亡き先君の遺志を継いで安心して十五六才の幼君の将来を託す事ができる人、
可以寄百里之命、
以て百里の命を寄すべく、
心配なく一国の命運を任せる事ができる人、
臨大節而不可奪也。
大節に臨みて奪うべからざるや、
そして危急存亡の大事に当って、心を動かさず節を失わない人、
君子人與、君子人也。
君子人か、君子人なり。
そういう人こそ君子人と云って良かろうか。確かに君子人である。
次のようなエピソードがあります。
加藤清正が、秀吉の没後、幼弱の秀頼(ひでより)を奉じて、二条城に於ける家康との会見を無事に終えて
大阪城に帰ってきたとき、人に向かって言いました。
かって前田利家が儒学に志して、論語を学び、わしや宇喜多秀家や浅野幸長(よしなが)を招いて、
この「託孤寄命章」と呼ばれる一章を特に話題として語りあったことがあった。
わしは当時、学問をしてなかったから、何の意味だかさっぱりわからなかった。けれども、今になって考えてみると悟る所がある。
わしは今日いささか太閤の恩に報ゆることができた、と云って感泣したそうです。
新しい都知事の方、恐らくは「君子人」でありましょう。