二つに割れて離れ離れになっていた鏡が、再び合わさって、もとの丸い鏡になることから、生き別れになっていた夫婦が、再会してもとどおりの夫婦になることを言います。
南朝陳(チン)の徐徳言(ジョトクゲン)の妻は皇帝の妹で、才色兼備であった。
隨の軍勢が陳に攻め入って国が危うくなった時、徐徳言は妻に向かって
「国が滅びることになったら、お前の容色と才気からすれば、きっと敵の権力者のものになって
しまうだろう。そうなればもう会えなくなる。だがもしも縁があれば再会したい。」
乃(すなは)ち一鏡を破(やぶ)りて、各(おのおの)その半(なか)ばを執り、約して曰く
「きっと正月十五日に、都の市場でこれを売っていてくれ。わたしが生きていたら、かならず
その日に訪ねていくから」
と約束しました。
やがて陳が滅びると、徐徳言の妻は、隋の権力者楊素(ヨウソ)のものになってしまい、
その才色の故に寵愛を受けることが並ではなかった。
一方、徐徳言は敵兵を逃れて、苦労の末やっと約束の正月十五日に、都の市場に辿りつきました。
市場の外れで下男風の男が半分に欠けた鏡を高い値段で売っているのを見つけました。
徐徳言は、その男に事情を話し、
半鏡を出(い)だして、以て之を合わす。
そこで鏡に詩を書きつけました。
鏡と人と倶(とも)に去り
鏡帰るも人帰らず
復(ま)た嫦娥(コウガ)の影なく
空(むな)しく明月の輝くを留む
召使いの持ち帰ったその詩を見た徐徳言の妻は、泣くばかりで物も食べなくなった。
楊素は事情を知って驚き、早速に徐徳言を呼び寄せて妻を返してやりました。
これに因(ちな)んで、【破鏡】は、夫婦の離婚に譬えられ、また
「破鏡重ねて照らさず」は、一旦別れた夫婦は、再びもとに戻らないと言う意味に用いられます。