詳細にわたって議論して話し合うことを表す四字熟語です。
米も塩も小さなものということで、こまかいことまで、広い範囲にわたって話し合うと言う意味になります。
『韓非子』の説難(ゼイナン)篇に出ている言葉です。
この「説難」篇は『韓非子』55篇のうちで、孤憤篇、五蠧篇と共に韓非自身の作品と謂われています。
説(と)くことの難(むずか)しさがいろいろと述べられています。韓非の体験談です。
【米塩博弁】の前後には、権力者に進言するときの戒めと謂いますか注意事項が書かれています。
1)君主に向かって重臣のことをあれこれと批評すると、
こいつは儂と家来との仲を割こうとしているなと考え
2)位の低い者のことをあれこれと批評すると、
こいつは儂の権勢を下々に売りつけているなと考え
3)また君主の寵愛する者をあれこれと述べると、
こいつ出世の足場を借りようとしているなと考え
4)君主の憎む者をあれこれと述べると、
こいつ儂の心を探っているなと考える。
5)その説きかたをずばり真っ直ぐ簡単にすると
知識が足りないとして退けられ
6)こまごま丁寧に広く弁じ立てると【=米塩博弁】
冗漫だとして他人と代わらせられる
7)事例を省略して意見だけを述べると
こいつ臆病で充分には言えないのだと言われ
8)事例を考え合わせて自由に述べたてると
こいつ粗野で傲慢だと言われる。
こうしたことが君主に説(と)くことの難(むずか)しさであって、知っておかねばならないことである。
およそ、君主に説(と)くことの難(むずか)しさは
説得しようとする相手の心を読み取って、
こちらの説をそれに合わせることが出来るかどうかというところにある。
韓非子の時代、遊説して自説を容れて貰うのは、命がけだっのです。
直言が憚られるため、寓話が不断に用いられました。