薪(まき)を採ったり、水を汲んだりする仕事を表す四字熟語です。
毎日の炊事の苦労を表しています。日本では骨身を惜しまず人のためにつくすと言う意味で使われることが多いです。
出典は『南史』陶潜(トウセン)伝です。
東晋の詩人陶淵明が彭沢(ホウタク)の県令として単身赴任をすることになりました。
その時、故郷に残した息子が気がかりになり、身の回りの世話をする人を送りました。
一力を送りて其の子に給す。書に曰く、
身の回りの世話をする人を送りました。持たせた手紙には
汝旦夕の費、自ら給すること難(かた)しと為す。
おまえが一人で朝夕の食事の支度をするのは大変だろう。
今此の力を遣はして汝が薪水之勞を助けしむ
ここに身の回りの世話をする者」を遣わして、おまえの【薪水之労】を助けさせよう。
此も亦人の子なり。善く之を遇すべし。
しかし、彼も人の子であるから、いたわってやらなければならない。
松尾芭蕉が『奥の細道』で日光へ行った時、同行の曽良について記載しているところがあります。
その中で、曽良が芭蕉に【薪水の労】を尽くしてくれていることが書かれています。
同行、曽良は河合氏にして、惣五郎といふ。芭蕉の下葉に軒をならべて、
同行の曽良は河合氏で、名を惣五郎という。深川の芭蕉庵と軒を並べるようにして住み、
予が【薪水の労】をたすく。
家事の労を助けてくれている。
此のたび松しま・象潟の眺、共にせん事を悦び、
このたび松島や象潟を共に眺めることを喜び、
且は羈旅(リリョ)の難をいたはり、
さらには旅の辛さをいたわってくれようとして、
旅立暁髪を剃て、墨染にさまをかへて、惣五を改て宗悟とす。
旅立ちの朝に黒髪を剃って、墨染めの僧衣に姿を変え、惣五を宗悟に改めた。
1月15日は『小正月』といわれています。
年末からお正月にかけて、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もあるようです。