気持ちがカラっとしていて、度量が広く物事にあれこれと拘らないことを表す四字熟語です。
【豁達】は、「カッタツ」で語尾がツで終わる、畳韻(ジョウイン)の擬態語です。
【闊達】も同じ畳韻の擬態語ですので【闊達大度】とも書きます。
度量が広く、細かいことに拘らないことを表します。
【大度】は、大きな度量で、心が広く大きいことを表します。
出典は、『文選』潘岳(ハンガク)西征賦(セイセイのフ)です。
夫(か)の漢高の興(おこ)るを觀るに、
漢の高祖が成功した原因を考えてみると
徒(ただ)に聰明(ソウメイ)神武(シンブ),
ただ知力と武力にすぐれ、
【豁達大度】なるのみに非(あら)ざるなり。
人物の度量が大きかったと言うだけではあるまい。
乃(すなは)ち實(まこと)に終(お)はりを愼(つつし)みて
実は、人々を最後まで面倒を見、
舊(ふる)きを追ひ、篤誠款愛あり。
古なじみを捨てず、誠実であって、慈愛に満ちていたからである。
今日 1月11日は「塩の日」です。
上杉謙信が、武田信玄に塩を送ったのがこの日として、「塩の日」になったようです。
さらに、この事から「敵に塩を送る」の美談めいた話が生まれました。
永禄10年(1567)武田信玄(現山梨県・長野県)は13年間に及ぶ今川(現静岡県)との同盟を破棄して東海方面への進出を企てます。攻め込まれた今川氏真は、親戚関係にあった北条氏康(現神奈川県)とともに、武田領内への「塩留め」(経済封鎖)を行います。武田の領地は海に面していないため「塩」を取ることが出来ず領民は苦しみました。
『川中島の戦い』も終わっていた、隣国上杉にとっては大チャンスです。
越後から、日本海の塩を牛に積んで糸魚川より、「塩の道」を通って松本に運び、甲斐や信濃の塩の市場に参入し(独占)販売を行います。
その第1便が、永禄11年1月11日松本にたどり着きました。
松本ではこの日に「塩市」を立てるようになりました。これが「塩の日」誕生の経緯です。
明治になって塩は国の専売になったことから「塩市」は「飴市」に変わったそうです。