【地(チ)平(たいら)ぎ天(テン)成(な)り】と訓読みされまして、『書経』大禹謨(ダイウボ)の一文で、【平成】の典拠となったものです。
【平成】は、1989年(平成元年)1月8日から始まりました。いまから25年前のことです。
四半世紀経ちました。
【平成】の典拠は、いくつかあげられています。
1)『書経』大禹謨(ダイウボ)
帝(舜:シュン)が(臣下の禹:ウ)に言いました
地平らぎ天成り、
(今や洪水が治まって)国土も平静に自然(の運行)も順調であり、
六府(リクフ)・三事(サンジ)允(まこと)に治(おさ)まり、
(その結果)六府・三事も誠に(よく)治まり、
萬世(バンセイ)永く頼るは、
(これからのち)万世も永く頼る(ことができる)が、
時(こ)れ乃(なんじ)の功なり。
これは(まったく)なんじの功績である。
2)『春秋左氏伝』文公十八年の記述の中で、昔話として舜の功績を讃えている文章です。
時に序(ジョ)せざること莫(な)く、地平(たいら)かに天成る。
万事は順当に運び、天地は平静になりました。
八元(ハチゲン)を挙(あ)げ、五教を四方に布(し)かしむ。
また八元を登用し、四方の国々に五教を宣布(センプ)せしめると、
父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝にして、
父は義に、母は慈に、兄は友に、弟は恭(キョウ)に、子は孝になり、
内平かに外成る。
内外は平静になりました。
3)『史記』五帝本紀にも、『春秋左氏伝』とほとんど同じ文章で記載があります。
日本では「大化:645年~649年」が元号の最初で、以後7世紀中後期には断続的に元号が用いられたことが『日本書紀』に書かれています。
文武天皇5年(701年)に「大宝:701年~703年」と建元し、以降継続的に元号が用いられ、現在の【平成】に至りました。
南北朝時代には、持明院統(北朝)、大覚寺統(南朝)が独自に元号を制定したため、1331年から1392年まで2つの元号が並存しました(建武元年、同2年は、南北共通)。