【人間(ジンカン)到(いた)る処(ところ)青山(セイザン)あり】と訓読みされる詩句を略した四字熟語です。
世の中は広いので、その気になれば何処ででも死ねるという意味です。
そうであるから故郷を離れ、躊躇(ためら)うことなく世界に雄飛せよと言っています。
【人間】は、「ジンカン」と読みまして世の中のことを言います。「ニンゲン」とは読みません。
【青山】は、「セイザン」と読みまして「墳墓の地」のことを言います。
東京の青山墓地の「青山」は、戦国時代から江戸時代初期にかけての
大名:青山忠成(あおやまただなり)さんの御屋敷の一部であることからだそうです。
【人間到る処青山あり】は、江戸時代末期の僧:釋月性(シャクゲッショウ)の詩
『將(まさ)に東遊せんとして 壁に 題す』です。
男兒立志出郷關 男児志を立て郷関(キョウカン)を出(い)ず
男たるべき者 志を立てて、故郷を出たからには
學若無成不復還 学(ガク)若(も)し成る無くんば復(ま)た還(かえ)らず
学問を成就することが出来なかったならば、二度と帰ってこない
埋骨何期墳墓地 骨を埋(うず)むる何ぞ墳墓の地を期せん
骨を埋めるのは、どうして故郷の地であることを望もうか
人間到処有青山 人間到る処青山あり
世の中、いたるところに死に場所とすべき青山はあるのだ
この詩は蘇軾(ソショク)が獄中にあった時、弟の蘇轍(ソテツ)に送った二首のうちの一首に
【是(いた)る処の青山 骨を埋む可し】とあるところから着想を得たのでは、と言われています。
読み下し文と口語訳を併記しました。
聖主天の如く 万物春なるに
聖主は天のように心が広く、万物は春のようだ、
小臣愚暗にして 自ら身を亡ぼす
自分はおろかにして、身を滅ぼす羽目になった、
百年未だ満たざるに 先ず債を償い
百年の寿命を全うすることなく死、罪をつぐなうことになり
十口帰するところ無く 更に人を累せん
家族十人は頼るあてもなく、君に面倒をかけるだろう
是(いた)る処の青山 骨を埋む可し
人間どこで死ぬかわからぬものだ、
他年の夜雨 独り神を傷(いた)ましめん
いずれの年か君は雨の夜に ひとりで心を痛めるだろう
君と世世 兄弟と為りて
君とはいつまでも兄弟でいたい、
又来生 未了の因を結ばん
あの世ではこの世で果たせなかった契りを結ぼう
釋月性の【青山】は『行くぞ!』という雄飛を謳い、
蘇軾の【青山】は『あの世で会おう』という悲痛を詠っているようです。