【五十にして命を知る】と訓読みされます。
五十歳になって、天が自分に命じ与えたものが何であるかを悟った、と言う意味です。
孔子が晩年になって、自分の思想・人格発達の過程を回顧したものと言われています。
孔子は74歳で生涯を終えるのですが、57歳から69歳まで、魯国に居られなくなり、諸国遍歴の生活となります。
【五十知命】、【六十耳順】を流浪の中で覚ったことになるのでしょう。
子曰、吾十有五而志干學、
子曰(いは)く、吾(われ)十有五(ジュウユウゴ)にして学に志し、
孔子がいいました、私は十五歳ごろから先王の教え、礼楽の学問をしようと決心した。
三十而立、
三十にして立つ、
三十歳でその礼楽の学問に対する自分なりの見識が確立した。
四十而不惑、
四十にして惑(まど)はず、
四十で物事の道理に対して戸惑うことがなくなった。
五十而知天命、
五十にして天命を知る、
五十で天が自分に命じ与えたものが何であるかを悟った。
六十而耳順、
六十にして耳(みみ)順(したが)ふ、
六十で何を聞いてもすらすらと分かるようになった。
七十而從心所欲、不踰矩。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。
七十になってからは、心のおもむくままに行っても、道理に違うことがなくなった。