三人あるいは五人という人数になって歩いて行くことを表しています。
また、人や家などがあちらこちらにかたまっている様子も表します。
『李白』の「採蓮曲:サイレンキョク。蓮を採るの曲」という七言古詩の六句目に【三々五々】が詠われています。
李白が若耶渓(ジャクヤケイ)に来た時、西施がここで蓮を採っていたことを思い起こし「採蓮曲」を作りました。
本来「採蓮曲」というのは蓮の根を採る秋の仕事の時の歌ですが、李白はそれを若耶渓で蓮を取ったとされる西施に喩えて、柳絮(りゅうじょ)の舞う晩春の歌に変化させています。
余談ですが、西施は中国四大美女に数えられる美しい人です。
王昭君(オウショウクン)、貂蝉(チョウゼン)、西施、楊貴妃を言いますが、貂蝉は三国志に登場する架空の人物であることから、実在の4人として貂蝉に替えて虞美人を入れるそうです。
四人それぞれに悲しいお話があります。
原文と読み下し文、私の勝手な口語訳を書きました。
若耶渓傍採蓮女、 若耶(ジャクヤ)渓(ケイ)の傍(ほとり)採蓮(サイレン)の女(むすめ)、
若耶渓のほとり、蓮の花摘む娘たち、
笑隔荷花共人語。 笑ひて荷花(カカ)を隔(へだて)て、人と共に語る。
蓮を挟んで、語らい笑う。
日照新粧水底明、 日は新粧(シンショウ)を照らして、水底(スイテイ)明らかに、
水面(みなも)に映る、顔は美しく、
風飄香袖空中挙。 風は香袖(コウシュウ)を飄(ひるがえ)して空中に挙がる。
風吹いて、香りと袖を舞い上げる。
岸上誰家遊冶郎、 岸上(ガンジョウ) 誰(た)が家の遊冶郎(ユウヤロウ)
岸辺には、どこから来たか美青年
三三五五映垂楊。 三三、五五、垂楊(スイヨウ)に映ず
三々五々、枝垂れ柳に見え隠れ。
紫騮嘶入落花去、 紫騮(シリュウ:栗毛の馬)落花に嘶(いなな)きて入りて去るも
栗毛の駒は嘶いて、柳絮も落花の季節
見此踟蹰空断腸。 此(これ)を見て踟蹰(チチュウ)して空しく断腸(ダンチョウ)。
話し掛けたき美青年、去り難き乙女たち。
漢詩は五言の場合は二語、三語、七言の場合は二語、二語、三語と区切って読むと理解しやすいです。たとえば
若耶/渓傍/採蓮女、・・・・、三三/五五/映垂楊。・・・・、見此/踟蹰/空断腸。
蕪村の俳詩「春風馬堤曲(シュンプウバテイキョク) 十八首」に【三々五々】がでています。十八首の十一番目にでています。
たんぽゝ花咲(さけ)り三々五々、
五々は黄に 三々は白し記得(キトク:書き留めておく)す、
去年此路(このみち)よりす
「春風馬堤曲 十八首」は、藪入りで帰郷する少女に仮託して、毛馬堤(現、大阪市)の春景色を叙した、抒情性豊かな郷愁の詩、と『広辞苑』に記載がありました。