現在は、あちらこちらを広く旅行するという意味で理解されています。
【南船北馬】の出典は『淮南子』齊俗(セイゾク)訓と言われています。『淮南子』をよく読んでみますと、旅行するというのとは、チョット違います。原文、読み下し文、口語訳ともに新釈漢文大系:『淮南子』を引用しました。
是以人不兼官、官不兼事、
是(ここ)を以て、人は官を兼ねず、官は事を兼ねず、
一人の者は二つの官職を兼ねることはせず、一つの官職は二つの仕事を兼ねることはせず、
士農工商、鄉別州異
士・農・工・商、郷別(キョウベツ)に州異にす。
士農工商それぞれに区別があった。
・・・(途中省略します)・・・
是以士無遺行、農無廢功、
是を以て、士に遺行(イコウ)無く、農に廢功(ハイコウ)無く、
こうして、士人には治務の遺漏がなく、農民にはむだな骨折りなく、
工無苦事、商無折貨、
工に苦事(クジ)無く、商に折貨(セッカ)無く、
工人には困難な作業なく,商人には損失なく、
各安其性、不得相干
各(おのおの)其の性に安んじ、相(あひ)干(おかす)を得ず。
各人が自分の持ち前に従って、互いに犯しあうことはなかった。
・・・(途中省略します)・・・
各有所宜、而人性齊矣。
各(おのおの)宜(よろ)しき所有りて、人の性は齊(ひと)し。
このように人にはそれぞれ長ずるところがあり、人の性に優劣はないのである。
胡人便於馬、越人便於舟、
胡人は馬に便(ベン)に、越人は舟に便になり。
胡人(北方の異族)は馬をのりこなし、越人(南方の異族)は船を乗りこなす。
異形殊類、易事而悖、
形を異にし類を殊(こと)にするもの、事を易(か)ふれば而(すなは)ち悖(もと)り、
形や類のちがう者が仕事を替えれば失敗し、
失處而賤、得勢而貴。
處(ところ)を失へば而ち賤(いや)しく、勢(いきほひ)を得れば而ち貴し、
適所を失えば賤しまれ、勢いに乗ずれば尊重される。
【南船北馬】は、あちらこちらを広く旅行するという意味ではなく、
置かれた状況に応じて、それに相応しい方法・手段があるということから、むしろ【適材適所】のことを言っているようです。
『淮南子』が編纂されたころは前漢:武帝のころです。そんな時代にのんびりと旅行などはしてなかったでしょう。