【名(な)有りて実(ジツ)無し】と訓読みされまして、名ばかりが立派で、実質が伴わないことを表します。
評判と実際が違っていることを言います。
この言葉【有名無実】の出典は『国語』晋語第八です。
春秋時代の中期、晋の卿(大臣)韓宣子(カンセンシ)が、B.C.541年に前任者の死去に伴い正卿・中軍の将となりました。
ある日、友人の叔向(シュクキョウ)が韓宣子を見かけた時の話です。
叔向(シュクキョウ)韓宣子を見る、
叔向が韓宣子に会ったとき、
宣子貧を憂へて、叔向之を賀す
宣子が貧乏を苦にしたところ、叔向が祝意を表しました。
宣子曰く
宣子が聞きました
吾に卿の名有りて、其の実無く、
【私には卿という名があるだけで、それにふさわしい財産がないものです】から、
以て二三子に從ふ無し
皆さんとお付き合いも出来ないのです。
吾是(これ)を以て憂ふ。
それで、私は苦にしているのです。
子の我を賀するは、何の故ぞ、と。
あなたが私に祝意を表されるのは、どういう意味ですか。
出典にある【有名無実】は、【高い地位にいるがそれにふさわしい財産がない】という意味になっていまして、これが本来の意味でした。
いまの【有名無実】とはだいぶ違います。
この話の後に叔向が、韓宣子に、先代の卿も財産のことなど考えず職務に励んだので、貧乏ではあったが、
国の内外から賞賛され、子孫は今もその余徳に与(あずか)っていることをあげて、慰めています。
高位にあって徳を積めば財を成すことができると、古代中国では考えられていたようです。
これが変化して【有名無実】を「高位にありながら徳がない」と解釈されるようになって現在の
使い方になったようです。