日本の中世(鎌倉・室町時代)、武士たちが一か所の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたことに由来する言葉です。【一所懸命の地】という表現で使われています。
『太平記』巻十一の【一所懸命】です。
・・・、定めて勲功(クンコウ)他に異なることに候(そうら)はんか。告げ申し候(そうろう)忠には、
【一所懸命の地】を安堵(アンド)仕(つかまつ)る様に、ご吹挙(スイキョ。推挙のこと)に預かり
候(そうら)はん。
同じく『太平記』巻三十三の【一所懸命】です。
・・・・・。心中の趣(おもむき)、気色(ケシキ)に顕(あらは)れ候(そうら)ひけるに依って、
差(さし)たる 罪科とも覺へぬ事に【一所懸命の地】を没収せらる。
南北朝時代末期から室町時代前期の成立と言われ、寺子屋で使用されていた教科書の一つである
『庭訓往来(テイキンオウライ)』にも【一所懸命】が出ています。
且(かつ)は戦功の忠否に依り、且は軍忠の浅深(センシン)に随(したがっ)て、
朝恩(チョウオン)に浴せんと欲す、譜代(フダイ)相伝の分領(ブンリョウ)、
【一所懸命の地】に於(おい)ては、相違(ソウイ)有る可(べ)からざる者を哉(や)、
余命を顧(かへり)みざるに依て、心底を残さず候、併(しかしなが)ら御許容を仰ぐ、
恐々謹言(キョウキョウキンゲン)
この【一所懸命】も近世(江戸時代)になりますと、命がけで事にあたるという意味にひかれて、表記も
「一生懸命:イッショウケンメイ」と書かれるようになって現在にいたっています。
江戸時代の浄瑠璃などに「一生懸命」の用例が多く見られるようです。
現代の辞書には両方を見出し語として載せていますが、新聞社や雑誌社では、【一生懸命】に統一しているようですし、放送でも「一生懸命」を使っています。
ですから現代は、原典に記載されている場合か、意識して【一所懸命】を使う場合を除いて、【一生懸命】が通用されているようです。