戦いに負けた将軍のことです。失敗した者は、とやかく弁解するものではないと言うことを表した四字熟語です。
『史記』淮陰侯列伝にみえる四字熟語です。
秦末漢初、【韓信匍匐:カンシンホフク。No.261】で有名な韓信は、【背水之陣:ハイスイのジン。No.251】を布いて趙軍を破り敵将・広武(コウブ)君を捕虜にしました。
戦い終って広武君が面前にひきだされたとき、韓信はその縄を解いて、東に向いて坐らせ、自分は西に
向かって相対し、これに師事しました。
「これから北のかた燕を伐ち、東のかた斉を伐とうと思いますが、どうしたら成功できるでしょうか」
広武君は辞謝して言いました。
「私は、【敗軍の将は以て勇を言うべからず、国の大夫は以て存(国を保つ道)を図るべからず】と聞いて
おります。いま、私は敗亡の虜囚です。どうして大事をはかる資格がありましょうか。」
韓信は言いました。
「私は、心底から、あなたの教えに従う覚悟です。どうか謙遜なさらずに、ご意見を披瀝なさって
ください。」
そこで広武君は言いました。
「私は、【千慮一失:センリョイッシツ。No.580】、【愚者一得:グシャイットク。No.405】と聞いて
おります。ですから多分、私の計は必ずしも用いられる価値がないかもしれませが、誠心を披瀝致します」
韓信の熱意は、広武君をうごかしました。
広武君は燕・斉討伐の術策を説き、その術策に従って、韓信は燕・斉を滅ぼすことができました。
昭和16 (1941)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6ヶ月に及ぶ太平洋戦争が勃発しました。