空行く雲や流れる水のように、物事に執着することなく、自然の成り行きに任せて行動するたとえを表した四字熟語です。
【行雲】は空行く雲を、【流水】は流れる水のことを言ってます。
修行してまわる僧のたとえにも用いられることがあります。
【流水行雲】とも言います。
【行雲流水】の初出は分かりませんが、蘇軾(ソショク)の『與謝民師推官書:謝民師(シャミンシ)推官(スイカン)に与うるの書』の中にでてきます。
推官という位にあった謝民師に「文を創る時の心構え」を示したものです。
蘇軾(1036年~1101年)は北宋の政治家で、詩人でもあります。唐宋八大家の一人で東坡居士と号しています。
文を創るにあたっては、
行雲流水のようでなければいけない。初めから決まった形があるのではなく、自然の成り行きに任せるのである。「行くべきところに流れゆき、止まるところで止まるのである。」と云っています。
大略如行雲流水、
大略 行雲流水の如し
行雲流水のように
初無定質、
初めより定質無し
初めから決まった形があるのではなく
但常行於所當行、
但だ常に当(まさ)に行くべき所に行き
行くべきところに流れゆき
常止於所不可不止、
常に止まらざるべからざる所に止まる。
止まるところで止まるのである
心の趣くままに書いていって、自然にとどまるべきところにとどまるのが、文を成す極意である。と言っています。そこへ行きつくまでが大変なことだと思います。