【伏寇(ふくこう)側(かたわら)に在(あ)り】と訓読みされまして、身のまわりに注意を払って、言動を慎むべきだということです。
管仲の著と言われている『管子』君臣下の巻に出ています。
古者(いにしえ)に二言(ニゲン)有り。牆(かき)に耳有り、伏寇側に在り。
昔から二つの名言がある。【牆に耳有り】、【伏寇側に在り】である。
牆に耳有りとは、微謀(ビボウ)の外に泄(も)るるの謂(いい)なり。
牆に耳有りというのは、秘密のはかりごとが、外に漏れること。
伏寇側に在りとは、沈疑民を得るの道なり。
伏寇側に在りというのは、君主から疑われ、身を隠した人がすぐ近くに居るということ。
微謀の泄るるや、狡婦(コウフ)、主の請(ジョウ)を襲(と)りて、
秘密のはかりごとが、外に漏れるのは、ずる賢い女性が主君のお情けを得て秘密を知り
游慝(ユウトク)を資(たす)くればなり。
遊説家の悪人に漏らすからだ。
沈疑の民を得るや、前(さき)に貴(たっと)くして後に賤(いや)しき者、之が駆を為せばなり。
君主から疑われ、身を隠した人が、身を偽(いつわ)って暗躍するからだ。
【壁に耳あり障子に目あり】という諺の類句です。