雲や霧が集まり来るように、人などが多く集まって来ることを表す四字熟語です。
反対の四字熟語は【雲散霧消】です。こちらは、雲や霧が消えるように、物事が一時に消え失せることを表します。
出典は『史記』淮陰侯(ワイインコウ)列伝です。
淮陰侯列伝と言いますのは、劉邦の覇権を決定付けた、張良(チョウリョウ)・蕭何(ショウカ)と共に漢の三傑の一人と言われた韓信(カンシン:?~B.C.196年)についての列伝です。
B.C.203年11月、齊を降した韓信は斉王となりました。
これを恐れた項羽は、武渉(ブショウ)という者を派遣して、劉邦と手を切ることを勧めました。
韓信は項羽に冷遇されていたことを恨んでおり、一方で劉邦には大抜擢され斉王に封じられたことを恩義に思っていたため、これを即座に断りました。
その後、齊の蒯通(カイトウ)が、韓信にたいして
「天下の要衝である斉の王となった今、漢、楚と天下を三分し、両者が争いに疲れた頃に貴方が出てこれをまとめれば、天下はあなたのもの」と進言しました。
蒯通は【雲合霧集】の言葉を用いて、韓信の説得にあたりました。
天下初めて難を發するや、俊雄、豪傑、號を建(た)てて一呼せば、
天下で秦末、乱が発生した時、各地の英雄豪傑が王と称して一声かけると、
天下の士、【雲合霧集】し、魚鱗(ギョリン)襍遝(ザットウ)し、
天下の志ある者は、雲や霧が集まるごとく、魚が群れを成すごとく、
熛(ヒョウ)として至り風と起こる。
飛び火や風のごとく、す早く立ち上がりました。
韓信は大いに悩みましたが、劉邦への恩義を選び蒯通の進言を退けました。