【一日之(これ)を暴(あたた)めて十日之を寒(ひや)す】と訓読みされまして、
ちょっとだけ努力して、あとは怠けることが多いというたとえです。
【暴】は、日と獣の死骸の形を組み合わせて出来た、会意文字です。
獣の死骸が太陽にさらされている形で、「さらす」の意味となり、さらけ出すことから、
「あばく」の意味となりました。
【暴】が「暴虐:ボウギャク」、「乱暴」のように「あらい」の意味に用いられるようになって
「さらす」の意味の字として、さらに「日」を加えた「曝:バク」が使われるようになりました。
【暴】を「バク」と読みますと「さらす」の意味になりますし、「ボウ」と読みますと「あらい」
の意味になります。
【一暴十寒】は『孟子』告子篇上にでています。
孟子曰く、
孟子は言いました、
王の不智(フチ)を或(あや)しむこと無(なか)れ。
王が「道」について知らないのは当然で、不思議がることはない。
天下生(しょう)じ易(やす)き物ありと雖(いえど)も、
この世にどんなに成長しやすい植物があったとしても
一日之(これ)を暴(あたた)めて十日之を寒(ひや)さば、
(種をまいてから)一日だけ日にあてて温めて、あとの十日間はこれを冷やしたならば、
未(いま)だ能く生ずる者あらざるなり。
とても芽を出すことなどできるはずはない。
と、たとえ話を一齣(ひとくさり)。
それから、じんわりと本音を言いました、
たとえ話と同じで、私が王樣にお目にかかるのはごくまれです、折角(善いことを
申し上げて)王様の心を温めても、私が退いた、すぐその後から冷やす者がやって
くれば、いくら王様の心に良心の芽生えがあったとしてもどうすることもできない。
ちょっとだけ努力して、あとは怠けるということから気が変わりやすい意味にも使われます。