【日(ひ)を曠(むな)しくして久(ひさ)しきに弥(わた)る】と訓読みされまして、むだに長期間の日を過ごすことを表した四字熟語です。
【曠日】の【曠】は、日+廣(音符号)から作られた形声文字ですが「廣」は広いと言う意味を
持っていますから、日が広すぎて「空しい」と言う意味でも使われるようになったと思われます。
【曠日】は、ですから ①一日中。終日。
②日をむなしくする。むだに日を過ごす。
③多くの月日を経る。
等々の意味に使われます。
【弥久】の【弥】は、「镾」が正字体です。镸+爾から作られた会意文字です。
さらに変化して「弓+日+爾」で構成される文字になりました。意味も「ひさしい。いよいよ」
となりました。
【弥久】は、久しきにわたる。長い時間を経る。長引く、の意味になります。
【曠日弥久】は『戦国策』燕策にでています。
「燕の太子(タイシ)丹、秦に質(チ:ひとじち)たり」で始まる節があります。その中で
太傅(タイフ)の計は、【日(ひ)を曠(むな)しうし久(ひさ)しきに弥(わた)る】。
太傅の計略では、日月をむなしく過ごすだけで長期間にわたります。
心、惛然(コンゼン)として、
私の心は(心配のため)昏迷し、
須臾(シュユ)すること能はざるを恐る
(目前にさし迫る危険が恐ろしくて)少しも待つことができません。
として【曠日弥久】が使われました。
太子丹の人質に絡んだ事件は戦国時代屈指のドラマとして『史記』刺客列伝に記載されています。
太子丹は子供のころ趙の国に人質に出されました。同じころ趙で生まれ、後に秦始皇帝となる(秦王)政とは大の仲良しでした。成長するに及んで政は秦王となりましたが、丹は燕の太子のまま、今度は秦に人質に出されました。
処遇の悪さが原因で太子丹の心に秦王政暗殺の炎が燃え上がりました。
秦の将軍樊於期(ハンオキ)、知謀の田光(デンコウ)先生、筑の名手・高漸離(コウゼンリ)、稀代の刺客・荊軻(ケイカ)。個性豊かな名脇役が織り成すドラマが始まりました。
『傍若無人』、『風蕭蕭として易水寒し』『切歯扼腕』等々の故事成語もこのドラマのなかで生まれました。