【門前市を成す】と訓読みされまして、人が多く集まることの譬えです。
権力や名声をしたって、その家に出入りする人の数が多いことも表します。
『漢書』鄭崇(テイスウ)伝の【門前成市】はマイナスイメージの強い四字熟語です。
前漢の哀帝(B.C.7~B.C.1)の時、外戚の横暴が目に余ったため、重臣の鄭崇は哀帝を諫め
ましたが、逆に職務上のことで譴責され、骸骨を乞い辞職しようと思い、家に籠っていました。
哀帝は鄭崇を召しだして、
君の門はまるで市人(あきんど)のように賓客(ヒンキャク)の往来が多いが、
何のため主上のわしを厳しく咎めだてしようとするのか。といいました。
鄭崇はこれに対して、
臣の門は市(さかりば)のようではありますが、臣の心は水のように清く済んでおります。
どうかとくとお調べ願いとう存じます。と答えました。
哀帝は怒って、鄭崇を獄に下し、徹底的に取り調べました。
確たる証拠も無いまま、鄭崇は獄死してしまいました。
類似の四字熟語に【門庭若市:門庭市の若(ごと)し】があります。『戦国策』斉策の威王篇にでています。
こちらは臣下の意見を取り入れて、プラスイメージになった【門庭若市】の故事です。
斉の威王(B.C.357~B.C.320)は大臣の鄒忌(スウイ)が部下の意見をよく聞くようにと
説得したことによく耳を傾け、命令を発しました。
威王の面前で批評する者には上賞を、
書面で諌める者には中賞を、
公共の場所で批評する者には下賞を授ける。
この命令が出ると、大臣達は争って意見を出しにやってきました。
もって【門庭若市】をなすにいたったということです。
本来、【門庭若市】の最初の使われ方は、諌めに来る人が多いことをいうのですが、
現在では、人の多いことを形容するのに用いています。