前に行く車がひっくり返るのを見たら、後ろから行く車は注意しなさい。という戒めの四字熟語です。
前漢の賈誼(カギ:B.C.200~B.C.168。中国・前漢時代の政治思想家・文章家)が
文帝(B.C.179~B.C.157)に上奏(ジョウソウ)した文中に鄙諺(ヒゲン:世間で言われていることわざ)に曰くと言う形で、でています。
上奏文は『漢書』賈誼伝にあります。
世間の諺に、
吏(リ)と爲(な)るを習はざれば、已成(イセイ)の事を視(み)よと
吏たることに習い通じていないなら、従来の前例にならうべきである、といい
【前車の覆(くつがえ)るは、後車の誡(いまし)め】、と。
前に行く車がひっくり返るのを見たら、後ろから行く車は注意しなさい、とあります。
そもそも三代(夏:?年。殷:約400年。周:約750年)がどうして長く久しく続いたかは、
前例に倣(なら)ったからです。
しかるに、これに從うことのできない者は、聖智に法(のっと)らないのであります。
秦(15年)の世がすみやかに絶えた所以(ゆえん)は、これをその轍(わだち)の跡で
見ることができましょう。
しかもこれを避けないのは、後車がまたまさに覆ろうとするのです。
【前車覆轍】から、『前車の轍を踏む』という成句が生まれました。
幸田露伴の歴史小説『運命』に、【前車覆轍】を使用した表現がありました。
太祖の深智(シンチ)達識(タッシキ)は、まことに能(よ)く前代の覆轍に鑑(かんが)みて、
後世に長計を貽(のこ)さんとせり。
歴史小説『運命』は、明朝の太祖洪武帝が崩じたあと、孫の建文帝と叔父である燕王(後の永楽帝)の争いをテーマにした小説です。史実ではありません。
概説[編集]
1398年、明朝の太祖洪武帝が崩じ、孫の建文帝が即位した。心やさしいが気弱な22歳の皇帝だった。皇帝の地位安定の為に側近の廷臣たちは、実力のある皇族たちを相次いで粛清したが、やがて叔父である太祖第四子燕王(永楽帝)と、皇帝の座をめぐり甥と叔父との激烈な戦い「靖難の役」となった。建文帝は追われ潜伏し僧となり、雲南の地などを何十年と流浪せるも、平和な一生を送ったのに対し、永楽帝は長く在位せるもいささかも安穏の日は無く、晩年も遠征が相次ぎ、その最中に病により崩じた。