【死生(シセイ)命(メイ)有(あ)り】と訓読みされまして、
人の生き死には天命であり、人の力ではどうすることもできない、と言うことを表した四字熟語です。
『論語』顔淵篇にでている言葉です。
司馬牛(シバギュウ)、憂へて日く、
司馬牛は(兄の桓魋:カンタイが謀反を起こし、罪を得て死ぬだろうと)、
落ち込んで言いました。
人、皆兄弟有り、我独り亡し。
人々には皆な兄弟があるのに、私にだけは居ない。
子夏(シカ)日く、商(ショウ:子夏の本名)之を聞く、
子夏は言いました、私はこんなふうに聞いてますよ。
死生命有り、富貴天に在り。
人の生き死には天命であり、人の力ではどうすることもできないのです。
(あなたの兄さんのことも、どうしょうも無いのですよ、しかたがない)
君子は敬(つつし)みて失うこと無く、人と恭(うやうや)しくして礼有らば、
君子は慎んで落度無く、人と交わるのに丁寧にして礼を守ってゆけば、
四海の内、皆兄弟なり。
世界中の人はみな兄弟になる。
君子何ぞ兄弟無きを患えんや。
君子は兄弟のないことなど、どうして気にかけることがあろう。気にするな。
【死生命有り】、【富貴天に在り】、【四海兄弟】共に子夏が残した言葉でした。孔子ではありません。
子夏は孔子より44才年下です。
雍也(ヨウヤ)篇で「女(なんじ)君子の儒(大学者)となれ、小人の儒(物知り学者)となるなかれ」と孔子に説教されています。
子夏は後に六経(リクケイ:易経・書経・詩経・春秋・楽経・礼記)に通じた大学者となりました。
息子が亡くなったとき、悲しみのあまり失明した、とあります。