見識が狭く、世間知らずなことを言います。
自分を謙遜(ケンソン)して言う場合にも使われます。特に「寡聞」だけで使われ、
『寡聞にして存じません』などと言います。
【寡】は、「宀+頁+人」を組み合わせた会意文字です。「宀」は祖先を祭る廟(みたまや)です。
「寡」は、葬儀の時の礼装として頭に喪章をまとった人が、廟の中で神霊を仰いで嘆いて
いる姿を横から見た形を文字化しました。
「寡」は、未亡人、やもめを意味します。
『礼記:ライキ』に、老いて夫無き者、之を「寡」という、
老いて妻無き者、之を「鰥(カン。やもお)」という
老いて子無き者、之を「独(ドク)」という
幼くして父無き者、之を「弧(コ。みなしご)」という。
前漢の元帝(B.C.49~B.C.33)のとき光録大夫(コウロクタイフ:朝廷での政策進言等をする職)の匡衡(キョウコウ)が進言したなかに【寡聞少見】が使われています。
徳を治める道として
必ず己の余裕ある所を明察して、その不足する所を勉めることが大切です。
聡明で道理に通ずる者は, ・・・・・・・・・・・洞察ということに自戒し
【寡聞で見ることの少ない】者は ・・・・・・・壅弊(ふさぎおおうこと)に自戒し
勇猛剛毅な者は ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無謀な暴挙に自戒し
仁愛溫良な者は ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・不決断に自戒し
沈静で暢気な者は ・・・・・・・・・・・・・・・・・機会に遅れることに自戒し
心の広く大らかな者は ・・・・・・・・・・・・・・忘却に自戒します。
本邦文豪の【寡聞】表現をいくつか
手紙で返事を寄こして、僕、寡聞にして、ヘルベルト・オイレンベルグを知りませず、恥じている。
太宰治「女の決闘」
わたくしは此のたびの草稿に於ては、明治年間の東京を説くに際して、寡聞の及ぶかぎり成るべく当時の
人の文を引用し、之に因って其時代の世相を窺知らしめん事を欲し 永井荷風「上野」
その方面の知識に疎い寡聞なる余の頭にさえ、この断見を否定すべき材料は充分あると思う。
夏目漱石「学者と名誉」
世間に所謂女学生徒などが、自から浅学寡聞を忘れて、差出がましく口を開いて人に笑わるゝが如きは、
我輩の取らざる所なり。 福沢諭吉「新女大学」