【多言は数(しばしば)窮す】と訓読みされまして、お喋りは時として行きずまることがあるので、
慎みなさいという『老子』の言葉です。
喋りすぎますと、「語るに落ち」て、墓穴を掘ることになります。
【多言數窮】は『老子』5章にでています。
第5章は短い文章なんですが、3段に分かれるそうです。【多言數窮】は第3段にあります。
第1段 天地不仁、以萬物爲芻狗。
天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす。
自然はけっして親切ではない。神に捧げた後に捨てられる“わら作りの犬ころ”の
ように万物を生みだしては棄てている。
聖人不仁、以百姓爲芻狗。
聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)をもって芻狗となす。
聖人もまた自然がそうであるように、民を“わら作りの犬ころ”同然に扱う。
第2段 天地之間、其猶槖籥乎。
天と地の間は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。
天と大地の間のこの世界は、風を送る“ふいご”のようなものであろうか。
虚而不屈、動而愈出。
虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きていよいよ出ず。
カラッポでありながら、万物が生まれ出て、途絶えることが無く、動けば動くほど,
物は生み出される。
第3段 多言數窮。不如守中。
多言はしばしば窮(きゅう)す。中(ちゅう)を守るに如(し)かず。
口数が多いと、しばしば行きずまる。黙って空っぽの心を守っていくにこしたことは
ない。それが聖人のおのずからなやりかただ。
多言をして困るのは、ときの為政者なんですね。
我々庶民にたいする四字熟語ではないようです。