弓の弦を強く張ったり、緩めたりすることから、ある時は厳格に接し、ある時は寛大に接したりすることを表す四字熟語です。
為政者の心得として、また教育者の心得として用いられます。
周(B.C.1046年頃~B.C.256)の文王や武王が、人民に対して時には厳しく、時には楽しみを与え心を穏やかにさせた、という故事から生まれた四字熟語です。
『礼記:ライキ』雑記下に出ています。
子貢(シコウ:孔子の弟子。孔門十哲の一人。孔子より31歳年少)が蜡祭(ササイというお祭り)を見て来ました。孔子が『楽しかったか』と聞きました。
『いいえ。国中の人が祭りで大騒ぎをしていたんですが、なんでそんなに楽しいのか私には
分かりませんでした』
子曰く、百日の蜡(サ)、一日の澤(タク)は爾(なんじ)が知る所に非(あら)ざるなり。
孔子が言いました。百日働いた後の一日だけのお祭りだから、お前には分からんだろう
張りて弛(ゆる)めざるは、文武も能(よ)くせざるなり。
民心を緊張させて働かせるばかりでは、文武二王でも政治はできないであろう
弛めて張らざるは、文武も爲(な)さざるなり。
緩めるばかりで緊張感がないというのも、文武二王は採用しない。
【一張一弛】は文武の道なりと
結局、ある時は張りある時は緩めるのが、文武二王の政道である。
【一張一弛】も結構ですが、これの基本は。
政府が国民に【信用】されている、という大前提があります。
100%信用されている政府であれば、国民は増税も素直に受け入れます。
また政府も約束した以上は、
100%「社会保障の充実・安定化」「財政健全化」に充当させなければいけません。
噓を吐いてはいけません。