大関昇進の決まった琴奨菊(27=佐渡ケ嶽部屋)伝達式を終え記者会見で、 「いろいろな意味に取れるが、自分としては目指す先は一つであり、目標を見失わずに努力すること(の大切さ)を考えた。稽古の先に光がある。メンタルを強くし、努力と心が交わったところに大関があった」と万理一空に込めた思いを語っていました。
元プロ野球選手の桑田真澄氏の座右の銘でもあり、日本ハム斎藤佑樹投手に渡した色紙にも書かれていたそうです。
使者を出迎え、琴奨菊は『謹んでお受け致します。大関の地位を汚さぬよう、万理一空の境地を求めて日々努力、精進致します』と定番口上に『万理一空』を織りこんで応じました。
大相撲九州場所、新大関琴奨菊7日目まで七戦全勝です。万理一空の境地にありでしょう。
『万理一空』は宮本武蔵が長年の修行で到達した精神的境地です。「万理一空」の言葉は1641年細川藩主、細川忠利の命により、「二天一流」の心得や技法等をまとめた『兵法三十五箇条』の一番最後にでてきます。そこでは
『 万理一空の所、書きあらわしがたく候へば、自身工夫なさるべきものなり』
とあります。曰く言い難しなんでしょうか、各自に理解を委ねているようです。現在は「すべてのことは一つの空の下にある。だから冷静に捉えて、やるべき事を見失わずに励みましょう」というように解釈されているようです。
宮本武蔵は『兵法三十五箇条』をまとめた2年後『五輪書』を書き終え更にその2年後、1645年享年62歳で亡くなりました。