苦しみを耐え忍んで、軽々しい行動をしないことを表す四字熟語です。
【隠忍】は、イン・ニンで、語尾がンで終わっている畳韻(ジョウイン)と呼ばれる擬態語です。
【自重】は、自分を大切にする意味から、行動を慎み軽率なことはしないという意味になります。
【隠忍自重】と、まとまった形では見つけられませんでしたが、【隠忍】という熟語は、『史記』伍子胥(ゴシショ)列伝の太子公序の中で出てきます。
『史記』の列伝は物語的な要素が大変多く、史書と言うよりは歴史小説として読んでしまいます。
その中でも「伍子胥列伝・第六」は出色のものと思います。
伍子胥は楚の人ですが、楚の平王(ヘイオウ)のとき王室のお家騒動に巻き込まれて
父と兄を殺され、呉に亡命して闔盧(コウリョ)に仕えました。
闔盧は、伍子胥・孫武(ソンブ)らを率いてしばしば楚に侵攻し、九年目にしてついに楚の都の
郢(エイ)を陥れました。
伍子胥は平王の墓をあばき、その屍を三百回も鞭打ち殺された父と兄の怨みに報いました。
(この時のことは【日暮途遠:日暮れて途遠し】今日の四字熟語No.616 に書かれています)
この「伍子胥列伝」に対しての司馬遷のコメントが太子公序と言う形で記載されています。
人の心に残る怨恨は、恐ろしいものである。
伍子胥が父といっしょに死んでしまっていたら、蟻や螻(ケラ)と違いは無い。
小さな義理を捨て去り、大きな恥をすすぎ清めたから、後世にまで名を残した。
子胥、江上(コウジョウ)に窘(くる)しめられ、
子胥、揚子江のほとりで追手に苦しめられ
道に食を乞うに方(あた)り、
道すがら乞食までした時にも、
志、豈(あ)に嘗(かっ)て須臾(シュユ)も郢(エイ)を忘れんや。
その志は少しも楚の都の郢を忘れてはいなかった。
故に隠忍して功名を就(な)せり
だから我慢を重ねて最後には功名を立てたのである。