いつでも役に立てられるもの。また必要な人物や自分の思いのままになる人物を表す四字熟語です。
【自家】は、自分と言う意味です。
【薬籠】は、薬箱のことです。
自分の薬箱に入れてある薬のように、いつでも役に立てられるもの、また思いのままに使えるものという意味で、原典は【薬籠中物:ヤクロウチュウのもの】となっています。
出典は『唐書』の狄仁傑(テキジンケツ)伝です。
狄仁傑(630年~700年)は唐の政治家。高宗・中宗・睿(エイ)宗・武則天(ブソクテン)に仕えました。武則天の治世において最も信頼され、長年に渡って宰相を務めました。
仁傑は多くの人材をひき立て武后に推薦して用いさせ、その数は数十人に及びました。
みな仁傑を尊敬してました
この仁傑が重用した人の一人に、元行沖という博学で万事に通じている人材がいました。
その行沖があるとき仁傑にいいました。
願わくは小人(私)を以て一薬物に備わらん
常備薬の一つにして下さい。
仁傑は笑って答えました。
これはわが薬籠中の物、なんぞ一日も無かるべけんや。
君は私の薬籠中の物だ。(吾が薬籠中の物なり)
一日もなくてはかなわない大切な人物だよ。
武則天(則天武后)は、狄仁傑を尊重して「国老」と呼び、討論の末に武則天が折れることが多くあり、拝礼と宿直を免除するほどでした。
狄仁傑は病気と老齢を理由に退職を願いましたが、武則天は許しませんでした。
狄仁傑が死去した時には、武則天も涙を流して悲しみ、「朝堂が、空となった」と語るほどでした。
朝廷で議論が決定しない時は、「天はなぜ、自分から国老を奪ったのだ」と嘆いたと伝えられています。