性格や言動に飾り気がなく自然であることをいいます。
【天衣】は、天人・天女の着物をいいます。
【無縫】は、着物に縫い目がないことをいいます。
また人の細工が施されていないことも表します。
詩文などが自然のままに完成していて美しいことを言います。
【天衣無縫】は、奔放の天才詩人李白を評するのによく使われます。
『太平広記』に引用された『靈怪集』にでています。
太原の郭翰(カクカン)、盛暑に当り月に乗じて庭中に臥(ふ)す。
太原の郭翰という人物は、ある夏の暑い盛りのこと、月を眺めながら庭で休んでいると、
時に清風有り、稍香(ショウコウ)を聞き气(キ)は漸濃(ゼンノウ)す。
忽然として清らかな風が吹き、ほのかな香りが次第に強くなって芳しい香りで庭が一杯になった。
翰、之を甚だ怪(あやし)みて、空中を仰ぎ視るや、
これを不思議に思った郭翰が空を仰ぎ視ると、
人の冉冉(ゼンゼン)として下るを見有(ケンユウ)し、
人がゆっくりと空より舞い降りて、
翰の前に直至(チョクシ)するは、及(すなは)ち一少女なり。
郭翰の前へと降り立ったその人は、この世のものとは思えぬ程に
艶やかな乙女でした。
(その美しさは目に満ち溢れるようであった)。
(途中省略します)
徐(おもむろ)に其の衣を視るや并(なら)びに無縫なり。
ふと郭翰が少女の衣服を視ると、どこにも縫い目がなかった。
翰之を問う、翰に謂ひて曰く、
郭翰がその理由を問うと、織女が答えて云った。
天衣は本、針線(シンセン)にて為(つく)るに非ざるなり、と。
天の衣服はもともと針や糸を用いて作らないのです、と。
(途中省略します)の間に郭翰と天女は男女の契りを交わしました。
目覚めた朝の気だるさの中で、【無縫】をたずねたようです。
余計なことですが、更に言いますと、天女は七夕の織姫です。文才があり、好男子でもあった郭翰と
結ばれたく、天帝の許しを得て、一年間だけ人間界に降りてくるのを許されたそうです。