【肝胆(カンタン)相(あい)照(て)らす】と訓読みされます。
お互いに心の底から信頼し合い、親しく付き合うことを言います。
【肝胆】は、肝臓と胆嚢のことで、どちらも大事な臓器であることから「心の奥底」という意味で使われました。
明の丘瓊山(キュウケイザン)の『故事必読成語考』にでています。
肝胆相照らす、これを腹心の友と為す
お互いに心の底まで打ち解けあって付き合えるのを、腹心の友と言い
意気孚(まこと)ならざる、これを口頭の交わりと謂う。
お互いの気持ちが一致しないのは、口先だけの付き合いだ。
【肝胆相照らす】と表現は違いますが、同義の言葉として、
韓愈(カンユ)が友人の柳宗元(リュウソウゲン)の死を悼んで「柳子厚(リュウシコウ)墓誌銘」を書いたその中に、
【肝肺を出(いだ)して相(あい)示し】と刻みました。
嗚呼、人は困った時にこそ、初めて本当の節義が見られるものだ。
普段、酒食や遊びに呼んだり呼ばれたりして、
大きな事を言ったり無理に笑い話をしたり、お互いに譲り合い、
手を取り合って【肝肺を出して相示し】
太陽を指し涙を流して誓いをたて、
生きるも死ぬも背かないと言えば、
如何にも本当らしいが、
一旦髪の毛一筋ほどの利害関係が生じれば、
今度は眼を背けて知り合いでも無いような顔をしている。
落とし穴に落ち込んでも、一度でも手を引いて救ってやろうとしないばかりか、
かえって相手を突き落として、上から石を投げるような真似をする者が、世間いたる所に居るのである。
韓愈と柳宗元の友情は、本物の【肝胆相照らす】であったのでしょう。