文字通りには、黄金のように輝く法律、宝石のように素晴らしい規則を表しています。このことから、人が絶対的に守るべき規則や法律のこと、さらには自分の主義主張の拠り所となる教訓や信条を表す言葉になりました。
ただ、「金科玉条のごとく守る」などと使って、暗に融通のきかないことの喩えとして用いられることもありますので、使うときも、また使われた時も要注意の四字熟語です。
『文選』に集録されている、揚雄(ヨウユウ:B.C.53年~A.D.18年)の「劇秦美新:ゲキシンビシン」という文章の中にでてきます。
【金科玉条】がでている部分を抜き出してみました。
懿律嘉量(イリツカリョウ:りっぱな定め)、金科玉条、神卦靈兆(シンカレイチョウ:占い)、
立派な定め、良き法令、守るべき法律、靈妙なる卜噬(ボクゼイ)を世に行ない、
古文畢(ことごと)く發(はっ)し、
いにしえの文書のすべてが世に示され、
煥炳照曜(カンペイショウヨウ:光り輝く)、
あかあかと照り輝いて
宣(あまね)く臻(いた)らざるは靡(な)し。
天下のすみずみにまで遍(あまね)く行き届いたのであります。
この文章を書いた揚雄は中国前漢時代末期の文人であり学者でもありました。
「劇秦美新」の文章は、「秦」は悪、「新」は善という趣旨で、「新」という国を興した王莽(オウモウ)を随分と讃えています。
しかし王莽は讃えられるほどの仁君ではなかったようです。
正直な臣下を迫害してましたから、揚雄自身にその禍(わざわい)が及ばないように、かなりヨイショをした内容になっています。
『文選』は南朝・梁(502年~557年)の照明太子(ショウメイタイシ:501年~531年)によって編纂された詩文集です。全部で30巻。春秋戦国時代から梁までの、賦・詩・文章を収録したものです。中国古典文学の研究者の必読書と言われています。
『文選』は古くから日本に伝わり、日本文学にも大きな影響を与えています。清少納言や紫式部も読んでいたそうです。