【身(み)を以(も)って利(リ)に殉(ジュン)ず】と訓読みされます。
つまらない人間は自分の利益になることと、欲望のためにのみ生きると言っている四字熟語です。
これは『荘子』駢拇(ベンボ)篇にでている言葉です。
【以身殉利】が出てくる文章の始まりは
夫(そ)れ小惑(ショウワク)は方(ホウ)を易(か)え、大惑(ダイワク)は性を易う。
小さな惑いは進む方向を間違えるだけだが、
大きな惑いは自分の本質を見失わせてしまう。
となっていまして、儒家嫌いの荘子は、儒家が説いている「仁義」は不必要なもので、本来の人間性、自然を害するものである。すなわち「大惑」である、と言ってます。
「仁義」なんてことを言いだすから
小人は則ち身を以って利に殉じ、
庶民は利益を得ようとして、我が身を犠牲にし
士は則ち身を以って名に殉じ、
武士は名誉を求めて、我が身を犠牲にし
大夫は則ち身を以って家に殉じ、
家老は家を守るために、我が身を犠牲にし
聖人は則ち身を以って天下に殉ず。
聖人すなはち帝王は世界を治めるために、我が身を犠牲にしている。
だから、これら幾つかの階級の人々は、それぞれの立場によって利益や名誉や家名や
世界のためにその自然な生まれつきを損なって、我が身を犠牲にしているという点では
同じです。
「無為自然」を謳(うた)い、作為的なこと、余計なことは仕為さんなというのが荘子ですから、儒家のいう「仁義」は「大惑」の最たるもの、となるのでしょう。