ちょっと睨(にら)まれたくらいの僅かな怨(うら)み、をいいます。
【睚】も【眦】も目のきわの意味で、「まなじり」をいいます。またどちらの字にも、『にらむ』という意味があります。
それで【睚眦】には、①「にらむ。目を怒らして見る。」という意味と、そこから変化した
②「わずか」という意味もあります。
『史記』范雎(ハンショ)蔡沢(サイタク)列伝にある【睚眥之怨】は、ちょっと睨まれたくらいの
僅かな怨みです
范雎は、魏の人で、魏の大夫須賈(シュカ)に仕えていましたが、斉への使いに同行した折、魏の機密を
漏らしたのではないかと疑われ半殺しの目にあわされます。
秦に逃れ、昭(襄)王に仕えて、遠交近攻の策を献じ、B.C.266年秦の宰相になりました。
宰相になった范雎は、世話になった人達、特に自分を助けたために困窮に陥ってしまった人達に、全財産を擲(なげう)って報いました。
又、鄭安平(テイアンペイ:范雎が秦へ逃れるときに世話になった人)を任ず。
又、范雎は鄭安平を推薦し、
昭(襄)王以て将軍と為す。
昭(襄)王は将軍に任用しました。
范雎是に於いて家の財物を散じ、
范雎はここに至って自分の財貨をなげうち、
盡(ことごと)く以て嘗(かっ)て困戹(コンヤク)せし所の者に報ゆ。
自分を助けたために困窮に陥ってしまった人々に、
それをことごとくお礼として与えました。
一飯の徳も必ず償ひ、睚眦の怨みも必ず報ゆ。
一杯の飯の恩義にもキチッと償いをし、
睨みつけられたようなわずかな怨恨にも必ず報いたのでした。