【石に中(あ)たりて鏃(やじり)を没す】と訓読みされます。
一心に行えば、どんなことでもできる、というたとえを表します。
『史記』李広(リコウ)将軍列伝にでています。
原典では、李広将軍が虎だと思って射たのですから、だいぶ事情が違います。
廣居右北平。
広(コウ:李広将軍)、右北平(ユウホクヘイ)に居(を)る。
李広将軍は右北平に駐屯しました。
匈奴聞之、號曰漢之飛將軍、
匈奴(キョウド)之を聞き、号(ゴウ)して漢の飛将軍と曰い、
匈奴はそれを聞くと、「漢の飛將軍」と呼んで、
避之數歳、不敢入右北平。
之を避(さ)くること数歳(スウサイ)、敢えて右北平に入らず。
数年の間、李広将軍を避け、右北平に侵入しようとしなかった。
廣出獵、見草中石、
広出でて猟し、草中の石を見、
李広将軍は狩猟に出かけて、草むらの中に石を見つけ、
以爲虎而射之、中石沒鏃。
以て虎と為して之を射、石に中りて鏃を没す。
虎だと思ってそれを射ると、石に当って鏃が突き刺さった。
視之石也。
之を視れば石なり。
近づいて見ると石であった。
因復更射之、終不能復入石矣。
因りて復た更に之を射るも、終に復た石に入ること能わず。
そこで改めて矢を射てみたが、二度と石に打ち込めなかった。
これが「一念、巖(いわお)も通す」の故事です。
近年では「一念、岩をも通す」と使われているようです。
TPP交渉、【中石没鏃】でいかなければ、『鵜呑み』にされそう、と言う方もいらっしゃいます。