つまらぬ者が賢人についていくことによって、功名を得ることができるということのたとえです。
【蒼蠅驥尾に附して千里を致(いた)す】の略です。
【蒼蠅】は、「あおばえ」のことです、
【驥尾】は、一日に千里を走るという名馬のしっぽのことです。
「はえ」は遠くには飛べないが、駿馬の尾についていれば遠くまで行くことができるという
意味です。単に【驥尾に附す】ともいいます。
『史記』伯夷列伝・索隠(サクイン)にでてくるのですが、【蒼蠅驥尾】の形ではなく、【驥尾に附す】という形で、でてきます。
聖人作(おこ)りて萬物覩(あらわ)る。
聖人がこの世に現れて、はじめて万物の本質真価が明らかになる。
伯夷・叔齊は賢なりと雖(いへど)も、夫子を得て名益々彰(あらは)れ、
伯夷・叔齊は賢者であるけれども、孔子のお陰でその名誉が益々明らかになった。
顔淵は篤學なりと雖も、附驥尾に附して行ひ益々顯る。
顔淵は学問に熱心な人であるけれども、蒼蠅が驥尾に附して遠くまで行くように、
孔子の名声につれてその立派な行ないが益々有名になった。行ひ益々顯る。
蒼蠅に擬せられた顔淵がお気の毒です。
伯夷・叔齊と同じに、『夫子を得て名益々彰(あらは)れ』でいいところを、後人が賢(さか)しらに
同語反復を避けて改作したのであろうとする説もあるようです。