すぐれた人物が、低い地位に置かれてつまらない仕事をさせられる譬えです。
【驥、塩車に服す】と訓読みされます。
【驥】は、一日に千里を走るという名馬、
【服】は、車を引かせるという意味、
【塩車】は、塩を運ぶ車です。
『戦国策』「楚策」の、「汗明(カンメイ)、春申君に見(まみ)ゆ」と言うところにでてきます。
中国戦国時代の遊説家、汗明が楚の令尹(宰相)である春申君に取り入ろうとし、自分を売り込む場面で【驥服塩車】を使っています。
汗明は三ヶ月かかってやっと、春申君に謁見することができました。春申君はその弁舌に
感心しました。汗明が重ねて対談を望んだのですが、
春申君に、もう先生のことは理解できたといって断られました。すると、
汗明 「わが君はご自分が聖王・堯に匹敵するとお思いですか」
春申君 「先生よ、そのようなわけはないであろう」
汗明 「では、わたくしは聖王・舜に匹敵するでしょうか」
春申君 「先生こそまさに舜である」
汗明 「率直に申し上げて、わが君は堯に、わたくしは舜に遠く及ぶはずもございません。
堯ですら舜を理解するのに、三年かかりました。わが君はわたくしをただ一度の会見で
理解したと仰いますが、これではわたくしどもが堯舜に勝ることになり、矛盾になりませんか」
これには春申君もなるほどと頷き、汗明を五日に一度召し寄せることにしました。
その後、汗明は積極的に、売り込みを行いました。ひとつの寓話を披瀝しました。
夫(そ)れ驥の齒(よわい)至れり、鹽車に服して太行に上ぼる。
かの驥は適齢に至ったのに、太行(山脈)の上で塩車を牽く仕事に服していました。
たまたま、伯楽が通りかかり、驥を引き寄せて大声をあげて泣き悲しみました。
驥は喜んで高らかに天に向っていななきました。
なぜ喜んだのでしょう。
驥は、伯楽が自分の力量を見抜いてくれた、と知ったからです。
わが君には、この私をいまの境遇から救いだし、わが君の為に大いに腕をふるわさせてやろうとの、
お考えはございませんでしょうか。
『戦国策』の記述はここで、ぶっつり途絶えていました。結果は不明です。