無用なものをつけ足すことを表す四字熟語です。
【蛇(へび)を画(えが)きて足(あし)を添(そ)う】と訓読みされます。
中国戦国時代(B.C.770~B.C.221)は諸子百家活躍の世でありました。その中に「縦横家(ショウオウカ)」という一派がありました。
縦横家の策略は、『戦国策』に生き生きと記されています。司馬遷も、『戦国策』を参考にしました。
【画蛇添足】は『戦国策』斉策の中にでてきます。
楚の将軍・昭陽(ショウヨウ)は魏を討伐して、今度は斉の国を討伐する気配を示しました。
斉の閔王(ビンオウ:B.C.~B.C.)は、恐れて縦横家の陳軫(チンシン)に相談しました。
「ご心配なく。攻撃をやめるよう説得して参ります」と言い、昭陽のもとに赴きました。
昭陽に【画蛇添足】の寓話を聞かせました。
楚の国に春の祭りをする者がいて、大きな杯(さかずき)に盛った酒を振る舞いました。
「皆で飲めば足りない、一人で飲めば余る。そこで、地面に蛇の絵を描いて、最初に描き上げた者が酒を
飲むということにしよう」と話し合いました。
一人の者が蛇を描き上げ、酒を引き寄せて飲もうとしながら、
「私は足まで描く事ができるぞ」と言いました。他の人が蛇を描き上げ、杯を奪い取り
「蛇にはもともと足などないのだ。」と言って、結局その酒を飲んでしまいました。
蛇に足を描き足した者は、とうとう酒を失う事になりました。
この寓話を踏まえて
陳軫は
『昭陽殿は楚の宰相となって魏を攻め、さらに斉を攻めようとなさっております。斉は、昭陽殿を非常に
恐れております。
斉と戦って勝利を収めても、これ以上昇進できる官爵はありません。
戦うたびに勝ったからと言って、ほどよいところでとどまる事を知らない人は、身を滅ぼしてしまいます。
それはちょうど、蛇に足を描き足すようなものです』
昭陽はそれを聴くと、「なるほど、もっともな事だ」と納得して、軍を解いて楚に引き上げて行きました。
陳軫が披露した逸話から、しなくてもよい無駄な事をすることを【蛇足:ダソク】」と言うようになりました。