「清」は、水が澄んでいる。あきらか。にごりがない。 きよい。いさぎよい。すがすがしいの意味、
「廉」は、かど。 かどだつ。 鋭い。 しらべる。 いさぎよい。 恥を知る。
意志が堅く、利益に心ひかれないの意味がそれぞれあります。
ということから、「清廉」は、心や行ないが清らかで正しいことを表します。
「潔」は、いさぎよい。きよめる。心や行為を正しくするの意味、
「白」は、しろい色。きよい。けがれない などの意味があります。
ということから、「潔白」は、心が清らかでけがれがないことを表します。
「清廉潔白」は、「清廉」と「潔白」を合成して出来た四字熟語です。
今は、「心が清く、私利私欲をもたないこと」を表す四字熟語となっているようです。
この言葉は、ないものねだりの、虚しい四字熟語として使われているんじゃないでしょうか。
曰く「清廉潔白の政治家」
前漢に王吉(おうきつ)という政治家がいまして、中国二番目の正史『漢書』では、
「王吉より(孫)崇に至るまで、世々清廉に名あり。・・・・余財を蓄積せず。位を去りて家居し、また布衣疏食(フイソショク)す」。 と記載しています。
「布衣疏食」は、退官後、一般庶民となって質素な暮らしをすることを表しています。
王吉は政治家でいたとき、不正な献金を貰わなかったし、帳簿の記載ミスもしなかったし、兎に角悪いことはしなかった、清廉潔白の士であったようです。
中国三千年の歴史の中でも、特筆されるほどしか「清廉潔白の政治家」は登場しなかったようです。
現代の日本、「清廉潔白の政治家」は何人くらいいるのでしょうか、・・・いない?。 そんなバカな。