顔に表れる僅かな表情、また僅かな表情の変化を言います。
【一顰一笑】の場合、「あるいは顔をしかめ、あるいはわらう」というように、「一」を「あるいは~」と
言う意味で使っています。
【顰】は、「頻+卑」の形声文字で、「頻」に顔をしかめると言う意味があり、「卑」は、小さい、少しの
意味があります。そこから「しか・める」とか「ひそ・める」という意味が生まれました。
熟語としまして、「顰蹙:ヒンシュク」、「効顰:コウヒン。顰にならう」があります。
【笑】は、髪を長くした巫女が手を上げて、身をくねらせ、首をかしげて舞い踊るさまを象形したものです。
神に訴えようとするとき、笑いながら踊り、神を楽しませようとする様子を「笑」といい、
「わらう、ほほえむ」の意味となりました。
【一顰一笑】は、【韓非子】・内儲説(ナイチョゼイ)・上にある四字熟語です。
韓の昭候は、人に言いつけて古いい袴(はかま)をしまわせました。お側の家来が
「殿様もまた不人情だ。古い袴でさえ側近に賜ろうとしないで、それをしまわれた」と言うと、
(おそらく、お側の家来は、チェッとでもいいたげな、イヤな顔をしたのではないでしょうか)
昭候は言いました
「そなたたちにわかることではない。
吾聞、明主之愛【一嚬一笑】。
吾聞く、明主の【一嚬一笑】を愛しむは、
わしの聞くところでは、明君は顔をしかめるにも笑うにもやすやすとはしない
嚬有爲嚬、而笑有爲笑。
嚬するには為に嚬する有り、笑うには為に笑う有ればなりと。
顔をしかめるにはしかめるだけの理由があり、笑うには笑うだけの理由があるということだ。
いま袴を人に与えるかどうかは、とても顔をしかめたり笑ったりするどころではない。
袴を与えるのと、顔をしかめたり笑ったりするのとでは、大変な違いだ。
わしは。ぜひとも手柄をたてる者が出るのを待つことにしたい。
そこでこれをしまいこんで、まだだれにも与えないのだ。