【靴(くつ)を隔(へだ)てて痒(かゆ)きを掻(か)く」と訓読みされます。
痒いところに手が届かなくて、はがゆくもどかしい思いをすることを表す四字熟語です。
【掻】は、扌+蚤から出来た形声文字で、蚤(のみ)にくわれて手で「か・く」という
意味になったようです。
【痒】は、「かゆ・い」、「や・む」の意味があります。【痒】は【癢】とも書きます。
【隔靴掻痒】は『無門関:ムモンカン』の序文のところにでています。
仏語心を宗と為(な)し、無門を法門と為す。
清浄な心を要とし、入るべき門の無いのを法門とするのである。
既に是れ無門、且(しば)らく作麼生(ソモサン)か透(とお)らん。
さて、入るべき門がないとすれば、どうやって通るのか。
豈(あ)に道(い)うことを見ずや、
こうも言うではないか
門より入る者は是れ家珍(カチン)にあらず、縁に従って得る者は始終成壊(ジョウエ)す。
門から入って来るものは宝とは言えない、世の出来事はやがて壊れる。
恁麼(インモ)の説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡(きず)剜(えぐ)るに似たり。
こういう説話は、風も無いのに波を起こしたり、綺麗な肌のキズを抉るようなものだ。
何ぞ況(いはん)や言句に滞って解会(ゲエ)を覓(もと)むるをや。
まして言葉尻に拘(こだわ)って、センサクするとは、もってのほかであろう。
棒を棹(ふる)って月を打ち、靴を隔てて痒を掻く、
棒で月を打とうとしたり、靴の上から痒みを搔くようなことで、
甚(な)んの交渉か有らん。
どうして真実なるものと交わることができよう。
『無門関』は南宗の禅師無門慧開(1183~1260)によって編纂された禅の問題集です。