親子の間では、悪いことがあっても、家庭外にたいしては、それを隠し、かばい合うのが親子間の正しい道であるということを表しているんですが、あくまでも儒家のそれも古代の考え方です。
『論語』子路篇にでています。
葉公語孔子曰、
葉公(ショウコウ)、孔子に語(つ)げて曰く、
葉公ある時孔子に言いました、
吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、
吾(わ)が党に直躬(チョクキュウ)なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。
子これを証(ショウ)せり。
私の村に、「正直者の躬」と言う者がいます。父親が羊を盗んだとき、
子は父親を訴えたのです。
孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、
孔子曰く、吾が党の直(なお)き者は、是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。
孔子はこれを聞いて、私の村の正直者というのは、それとは違います。
父は子のためにかばい、子は父のためにかばいます。
直在其中矣。
直(なお)きこと其の中(うち)に在り。
そこに、本当の正直さがあるのです。
物を盗んではいけないというのは、当たり前のことです。
でも、家族が起こした時、それを見過ごしてもよいかどうかは、なかなか難しい、と思います。
日本の法律では、犯人蔵匿等、証拠隠滅等、については、
犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、
その刑を免除することができる。
とあり、親族による犯人蔵匿や証拠隠滅の罪に対しては裁判所の裁量によって刑が免除されうるという規定があるそうです。