歯をくいしばり、非常に残念に思っていることを表します。 非常に悔しがることです。
【切歯】は、はぎしり、【腐心】は、心を砕くこと、をそれぞれ表します。
『史記』刺客列伝の中で荊軻(ケイカ)についての話にでてきます。
B.C.233年、燕の太子である丹が人質になっていた秦から逃げ帰ってきました。
丹は秦王政(始皇帝)と子供の頃に親しくしていたが、大人になってから秦で出会うと政は丹を見下し、
冷遇したので怒った丹は燕に逃げ帰り、復讐を考えました。
刺客の依頼を受けた荊軻は、用心深い秦王に謁見するための策を考えました。
一つが、燕で最も肥沃な督亢(トクコウ)の地図を差し出すこと。
もう一つが、もとは秦の将軍で、燕へ逃亡してきていた樊於期(ハンオキ)将軍の首を差し出すこと。
荊軻は、直接樊於期に言いました
今、燕國の患(うれい)を解き、將軍の仇に報ゆる方法があります。
将軍の首を頂戴して、秦王に献上するのです。
秦王必ず喜びて臣に見(まみ)ゆ。臣、左手にその袖を把(と)り、右手にその胸を刺さん。
然(しか)らば則(すなは)ち將軍の仇を報いて燕の陵(しの)がるる愧(はじ)を除かん、と。
樊於期、偏袒(ヘンタン:肌脱ぎになる)搤捥(ヤクワン:腕組みする)して進みて曰く、
これ臣の日夜【切齒腐心】するところなり、と。
遂に自剄(ジケイ:自ら首を切る)す。
『風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび去ってまた還らず』に、送られて秦に向かいますが、
すんでのところで始皇帝暗殺は失敗に終わります。、