【千慮一失】とは、どんな賢い人でも、多くの考えの中には思わぬ間違いや思い違いがあるということです。
『史記』淮陰(ワイイン)侯列伝にでてきます。
B.C.205年、韓信(カンシン)が井陘(セイケイ)で、「背水の陣」を用いて趙を破った時の話です。
韓信は、
広武君を殺してはならない。生け捕りにした者があれば、千金で買い入れよう。
と軍中に命令しました。
すると、広武君を縛って麾下(キカ)にとどけでた者がありました。
韓信はその縄を解いて東に座らせ、
自分は西に向かって相対し、これに師事しました。
広武君は辞謝(ジシャ)して言いました。
臣聞敗軍之將,不可以言勇,
臣聞く、敗軍の將は以て勇を言うべからず。
亡國之大夫,不可以圖存。
亡國の大夫は以て存するを圖(はか)るべからず。
今臣敗亡之虜,何足以權大事乎
今、臣は敗亡の虜なれば、何ぞ以て大事を權(はか)るに足らんや。
と言いましたが、韓信はさらに強いて促しました。
心を委ねてあなたの計に従うから、どうか、遠慮しないでもらいたい。
臣聞、智者千慮必有一失、
【臣聞く、智者も千慮に必ず一失有り】、
私は聞いております、賢者も千に一つは失敗することがあります
愚者千慮必有一得。
愚者も千慮に必ず一得有り。
愚者も千に一つは成功することがあります
故曰、狂夫之言、聖人擇焉。
故に曰く、狂夫の言も、聖人は焉(これ)を擇(えら)ぶ。
だから、狂人の言であっても、聖人はそれをよく聴き撰ぶ、と言うのです。